気持ちの整理(後悔その2)

私の脳梗塞は2013年9月20日に発症した。
あれから、ちょうど一年。
一年前の今日、運命が変わってしまったのだ。
前回に引き続き「気持ちの整理:後悔」について二つ目を書きたい。
今回はまさしく発症に関する後悔だ。
救急車を呼んだ時はまだ脳梗塞を発症していなかった。
私は入院中に脳梗塞を発症することになった。


時間軸で整理すると、

【2013/9/16】

激しい頭痛に襲われ、救急車を呼ぶ。
症状は、頭痛、顔面のしびれ、平衡感覚の異常、吐き気。
そのまま入院(SCUへ)となる。

【2013/9/19】

朝食後、二度目の激しい頭痛に襲われる。
症状は、頭痛、顔面のしびれ、嚥下の異常(飲み込みができないことに気づく)。
鎮痛剤投与により症状は治まる。
その後、入院後初のシャワーを浴び、SCUから一般病棟に移動する。

【2013/9/20】

深夜、三度目の激しい頭痛に襲われる。
症状は二度目と同じ。
朝になってMRIを行う。
脳梗塞が発症していることが分かる。

このように、三回目の頭痛で脳梗塞になった。
脳梗塞の原因は動脈解離である。
動脈解離によって血流が止まり脳梗塞になったと考えられる。
二度目の頭痛の時はSCUにいたので医師がすぐに駆けつけた。
だが治療は鎮痛剤を投与して様子を見るだけだった。
実際、鎮痛剤を投与してからしばらくしたら症状は治まった。
三度目の頭痛の時、看護師さんは来たが医師は朝まで来なかった。
看護師さんが医師を呼ぼうとしなかった。
自分も二度目の経験があったので、様子を見るしか方法はないのかと思い「先生を呼んで欲しい」とはハッキリ言わなかった。

後から考えれば、一度目の頭痛からワレンベルグ症候群の症状が出ている。
思うに、一度目から既に延髄に行く血流が阻害されていたのではないかと。
一度目と二度目の頭痛は、血流が阻害されながらも少しは流れていて、そのうち正常な状態に回復した。
三度目の頭痛で、脳梗塞に至るまで血流が止まってしまったのが事実ではないのか。

ここからが後悔である。

  1. 三度目の頭痛の時、無理にでも医師を呼んでいれば、何か治療を講じれたのではなかったのか
  2. 二度目の頭痛の後のシャワー(シャワーの許可)は時期尚早ではなかったのか
  3. 入院したのだから、動脈解離の進行を止める積極的な治療方法はなかったのか

(1)~(3)のいずれも別の道を選んだとしても、脳梗塞が避けられたかは確実には分からない。
(1)は二度目の頭痛を経験していなければ、深夜でも無理やりに医師を呼んでいたと思う。
だから、すこし運命的なものも感じる。

あの時に戻れるわけではないので、別の道を積極的に検証したわけでもない。
後悔が大きくなる可能性もあるので、「検証するのが怖い」のが本音である。
「(脳梗塞に)なってしまったのは、しょうがない」
私の口癖でもあるし、後悔したくない自分に言い聞かせている言葉である。

後悔がゼロだと言えば嘘になる。
「哲学的や宗教的にあまり話が向かわないようにしたい」と書いておきながら矛盾してしまうが、この病気になることは運命的に避けきれなかったように思ったりもする。
これから先も後悔が出ることはあるだろうが、発症から一年が過ぎて後悔の思いにふける頻度は減った。
「なってしまったのは、しょうがない」
こう考えることにして、未来のことを考えたい。

2件のコメントがあります

  1. さかどくん さん

    生涯で初めてのことであったので、仕方がなかったと思っています…。
    それに、良い医師に出会うのも運と思っています。

    1. のすけパパ

      まさしく運ですよね。
      発症したことも、どこの病院に入院するかも。
      だから、それは受け入れようと思っています。

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