前回、予告しましたように、気持ちの整理について書いていこうと思います。
はじめにお断りしておきますが、「大病を患っての気持ちの整理方法」を書けるとは思っていません。
私にそのようなことを書く能力はないですし、自分自身の気持ちの整理が完成したわけではありません。
自分の心の葛藤を吐露するだけで終わる可能性があります。
単なる私の愚痴になってしまう可能性もあります。
そんなことをご了承いただき、読んでもらえれば幸いです。
発症直後は病気のことが良く分かっていません。
脳梗塞は知っていても、どんな症状や苦痛があるのかは知りません。
ましてや「ワレンベルグ症候群」なんて言葉すら聞いたことがありません。
SCU(脳卒中集中治療室)のベッドの中で、看護師さんがなにもかもお手伝いしてくれるので、はじめは不自由さもあまり感じません。
発症直後に水が飲めなくなった(嚥下障害)に気づきましたが、いずれは治ると思い込んでいました。
少しずつ自分の体に起きた「ことの重大さ」に気づいていきました。
「俺の体が大変なことになっている!」
心の中で叫びました。
そして「ことの重大さ」を思い知ったとき、頭に思い浮かんだ言葉が「罰(ばつ)」でした。
「罪(つみ)からくる罰」
「因果応報」
「原因と結果の法則」
「タバコの吸い過ぎ」や「お酒の飲み過ぎ」などの医学的な原因ではなく、運命やあるいは神罰という世界のことです。
「自分の体に起きたことは、過去の自分のおこないに起因しているのではないか?」
その時から、そう考え続ける日々が始まりました。
ベッドの中で自分の過去の「おこない」を思い出していくことになりました。
私は自分で自分のことを善人と言えるほどの人間ではありません。
「他人に対して反省すべき過去がないのか」と聞かれれば、すこし考えるだけで浮かんできます。
知らず知らずのうちに誰かを傷つけていた可能性も、もちろん「ない」なんて言えません。
人間ですから、そんなことを言い出したらきりがないです。
でも人から後ろ指をさされるような人間ではないと、自分では思っています。
収監されなければいけないような過去もありません。
退院しても、電車の中で流れる風景を見ながら、考えこんでしまうことが続きました。
変な言い方ですが、これから数十年続くことになるであろう病気の苦しみに、見合うだけの罪を自分の過去から見つけることはできませんでした。
どうして罪を探そうとするのか?
その理由を考えてみることにしました。
「こうなった自分を納得できる理由が欲しいこと」
いや違う、
「罪を悔いることや、できるなら今からわびることによって、少しでも自分の病気が回復することを期待したい」
こちらが本心だと気づきました。
過ぎたこと(事実)は変えられません。
病気になったことも変えられません。
それは、ゆるぎないことなのです。
もう、しっかり前を見るべきです。
どうしても、原因、理由を探しますよね。
でも、原因が解かっても、実際に発病するかは判らない。そこに神仏の関係する余地があるのでしょう。
ご利益がある神仏がいるのかも知れませんが、私も起こったことは仕方がないと考えます。災難に遭った思って、前進するほかないでしょうね。
P.S.
北斗様、そうです。埼玉の坂戸です。
ほんのちょっとだけ居ましたが、縁が切れてしまったので記念に名乗っています。
こんにちは。
「前進するほかない」まったくその通りなんですが、そうも割り切れない自分がいて難しいです。
割り切れたら「気持ちの整理」完了なんでしょうけどね……
この病気になったのは因果応報なのか。。。色々考えました。
身体はしんどい、痛い、その他色々な症状で苦しみ、仕事をしていくうえでの肩身の狭さなどで絶望感を感じることもあります。
これ以上の試練を私に与えないでくださいと思うこともしばしば。
あまり、深く思いつめないで、ポジティブシンキングで生きていくことが私の人生の課題であります。
あと、これは伝えようかめちゃくちゃ悩んだことなのですが、たしかに、のすけパパさんのいうように、このような形での関係は、おっしゃる通りゆるい関係なのかもしれません。
ただ、同病者として、ブログを発信してくれて感謝している人のことを、いつどきも気にかけ、心配し応援していることをわかって欲しいと思いました。
こんにちは。
最後の文、本当にありがとうございます。
あーさんのお気持ち、とてもとてもうれしく感じています。
私が言いたかったのは「コメントに返事を書かなきゃいけない」とか「いつまでに返さなきゃいけない」とか義務的に考えないで欲しいな、といった意味です。
私も、時にブログの更新が負担に思う時もあります。
その時は無理に書かないようにしています。
それも長続きの秘訣かなと思っています。
私のブログを読んでコメントをくださる方、ROMっている方、さまざまだと思います。
でも、どちらも私に勇気をくださる大切な大切な方々です。
読んでくださる方がいるとわかるだけで、大げさかもしれませんが病気と戦う気力が湧いてきます。
私もブログを通じて、病気と戦っているみなさんに少しでもちからになれたらと願うばかりです。
のすけパパさん、お心遣いのメッセージ、ありがとうございます。
私も割り切れない自分がいます。
痛みが軽減されたり、症状がもう少し軽かったら気持ちの持ち方も違ったかもしれない。
時間の経過とともに、身体も心も楽になっていくといいな〜
こんにちは。
痛みだけは、リハビリではどうにもならないですからね。
痛みに対する慣れなのか、少しずつ治まるのか、まだ分からないですが、
あとは時間の流れに期待するだけです。
5年後ぐらいには、「あの頃がピークだった」と言えることを期待しています。
のすけパパさん
>単なる私の愚痴になってしまう可能性もあります。
いいと思いますよ。愚痴でも悩みでもアドバイスでも!共感出来る方には非常に内容が分かりますから。
>「タバコの吸い過ぎ」や「お酒の飲み過ぎ」などの医学的な原因ではなく、運命やあるいは神罰という世界のことです。
小生は真逆で「タバコの吸い過ぎ」や「お酒の飲み過ぎ」が最大の原因と思ってます。
仕事のストレスの解消をタバコ、お酒で発散しちゃいました。
まさに地獄絵の主人公を演じてこうなったと感じてます。
>運命やあるいは神罰という世界のことです。
小生は神ではありませんが、神でしたらのすけパパさんには罰は与えません。
それはこのブログを通してだけですが、決して罰を受ける方ではないと感じてます。
むしろ現状の身体の後遺症を少しでも和らぐようにしてあげますよ。
さかどくんさん
>北斗様、そうです。埼玉の坂戸です。
やはりそうでしたかw。坂戸、、、環境のいい街ですよね。
小生はもっと北の熊谷寄りですw
あーさん
>これ以上の試練を私に与えないでくださいと思うこともしばしば。
小生も同様に感じてます。感じてました?。
わたしはこう置き換えました。
「試練」→「宿命」。
「試練」は色々、精神面でつらいですが「宿命」なら「こうしかならない、また、、、こういう風になれる」と思うからです。
こんにちは。
私もタバコやお酒はガンガンやってました。それも北斗さんと同じストレス解消からです。
だから原因を何か探すとするなら、そこに行き着きます。
それだけで割り切れないのが、気持ちが整理しきれないところなんですが。