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気持ちの整理「試練」

前回はこの病気になったことが、自分への罰なのだと考えたことを書きました。
自分の過去の行いが、病気になった原因だと。
病院のベッドの中で、何回も何回も過去を振り返りました。
でも、それは、病気になった納得できる理由を探しているのではなく、
「罪を悔いることや、できるなら今からわびることによって、少しでも自分の病気を回復させられるのでは」
との欲求からきていることを自分で悟りました。
そして、今度は過去から未来へ目を向けます。


もし、病気の発症が自分の過去の行いとは何ら関係ないとするなら、この苦しみの後に、何か特別な出来事が待っているのではないかと期待したくなります。
苦しみは「試練」であって、この試練を耐え抜けば、今までとは何かが違う人生が歩めるのではないかと。
もし試練なら、どう変わって欲しいか考えたりもします。
例えば、すごく単純なところでは「宝くじに当たるのはないか」とか。

病気なって三年目ですが、今のところはそんな兆候を感じません。
(買ってもいない宝くじに当たるはずもありませんが…)
仕事に復帰しましたが、私の周りでは相変わらずいろいろな問題が起きて、私にも火の粉が飛んできます。
運が良くなったようなことも感じません。
(もともと「くじ運」は悪い方ですが…)
ある意味、何も変わらないのです。
「病気になったこと」以外は。

先日、古い友人と久々に会いました。
病気のことをいろいろと話しました。

「動脈解離という、三層からなる血管の壁の内側が剥がれる病気が発端」
「動脈解離はなぜか40歳代に多い」
「自分は高血圧や糖尿病などの、病気の因子があったわけではない」
「神がサイコロを降ったら、たまたま、サイコロの目が私をさしただけ」
「偶然なのです」

そうなのです。
人に病気を説明するときに、既に「病気の原因は偶然」と言っています。
これは、自分に言い聞かせるためにも言っています。
どうあがいても、病気になった納得できる理由は見つかりません。
納得できないことは、偶然でしかないのです。
自分に言い聞かせて、それで自分を納得させるしかないのです。
理不尽ですが、病気になったことは偶然です。
納得できる理由が「ある」とか「ない」とかの次元ではなく、「偶然」を納得するしかないと思うのです。
私の結論はここです。

試練の結果ではないですが、病気になって気付けたたことはたくさんあると思っています。
書き出したらきりがありません。
それらをまとめて、一言で言うなら、

「病気になるまでは、何も気づいてなかった」

です。
だからこそ、今まで気付けていなかったことがあるから、前を向いて生きて行こうと考えます。

2件のコメントがあります

  1. せん さん

    動脈解離とのこと。
    私も約四年前、動脈解離でした。
    ワレンベルクの症状もあります。
    めまいは、徐々に良くなってます。
    日々の調子でいろいろですが。
    身体を暖かくしているほうがいいようなきもします。
    少しづつですが。調子をみつつ、動いて行こうと。
    実際の感じ方など参考になります。
    また、些細なこともアップしてもらえるとありがたいです。

    1. のすけパパ

      こんばんは。
      コメントいただき、ありがとうございます。反応が遅くて申し訳ありません。
      日常生活でいろいろなことがありますね。
      自分の症状が、この病気からの症状なのか気になることはあります。
      私なんか、なんでもこの病気のせいにしてしまって、割りきってしまうところはありますが。
      気付いたことは些細なことでもアップして、みなさんと共有するようにしますね。

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