つれあいより先かあとか?

ふと、自分が死ぬのは「つれあいより先が良いのか、あとが良いのか」を考え込んでしまいました。
もちろん死期を自分で調整することは難しいし、ましてや早めるようなことを積極的に行うのは違うことだと私は思っています。
ただ死期について「つれあいより先か、あとか」だけでも選べるとしたら、どちらを選ぶのかの仮定の話です。

私は私のつれあいである妻に、「(自分が)先に死ぬから」と言ってきました。
わりと日常会話の中で普通に言っています。
なかなか寝付けなかったある夜、布団の中でそのことをボーッと考えていました。
そうしたところ、今まで思っていた「妻より先に死ぬ」は間違っていると思うようになったのです。

私が「妻より先に死ぬ」ことを選んできたのは、自分が生きていくためには妻の助けが必要であることの単純な理由からです。

病気になって、嚥下障害になってしまいました。
手術やリハビリで普通に近いものを食べられるようになりましたが、完全には戻っていません。
「硬いものや筋のあるものは細かく刻む」、「柔らかく煮込む」、「煮汁は少なくするか、とろみを付ける」などの料理にひと手間を加えないと食べられません。
歩行に問題があるので、雨が降っている日や雨上がりは、駅まで妻の送り迎えがないと仕事に行けません。
手の動きも少し不自由なので、お風呂上がりの綿棒による耳掃除は妻にやってもらいます(自分でやると、耳に綿棒を刺してしまいます)。
買い物に行く時は、妻の運転で車で行きます。

どれもこれも小さなことなのかもしれませんが、なにをするにも妻の助けが必要です。
(私が「小さなこと」と言っては妻に失礼ですね。)
だから「妻より先に死ぬ」は、「妻に先立たれたら自分が生きていくことが困難になる」という、まったくの自分本位な理由からなのです。

でも、布団の中で考えていて気づきました。
「妻より先に死にたい」本当の、本当の理由は、妻に先立たれたら、その後が寂しくってつらくなることが目に見えているからだと言うことを。
「妻の助けがなくなると生きて行けない」は建前で、「妻に先立たれるのは寂しいからイヤ」が本音なのです。
そして、つれあいが先立って寂しい思いをすることが分かっているのなら、それを妻に体験させてはいけないことなのだと思いました。

うちの父は母が亡くなって、一年後に亡くなりました。
「かくも男は妻が亡くなると弱いものなのか」と思っていました。
でも、それは父が「母に寂しい思いをさせてはいけない」という思いだったのではないかと考えるようになりました。
先日、内田裕也さんも樹木希林さんの後を追うように亡くなりました。
これも内田裕也さんの最後で最大の愛情と思えてしまいます。
だから、できることなら、私もほんの少しだけ妻より後に死にたいと思うようになりました。
ほんの少しだけ妻より長生きして、妻をちゃんと見送って。

と、ここまで「私が先立ったら妻が寂しがるだろう」との大前提で考えています。
この前提が崩れると、話が変わってきます。
ひょっとすると、私が先に死ねば手を煩わせなくなって、楽になると妻は思っているのかもしれません。
本当のところの妻の気持ちは……、ちょっと怖くて質問できません。

2件のコメントがあります

  1. レオンありがとう。 さん

    こんにちは、ノスケパパさんの思われることよく分かります。私もワレンベルグを患ってから妻の支えは必要不可欠で妻は私より少し年上ということもあるのかよく、私が先に逝くからといいます、私はやはり妻の支えが必要という思いが強いのでそれは困るよ僕が先だな、なんて言い合ったりします。妻は私を一人にして心配という気持ちも強いのですが一人になるのは寂しいという気持ちがもっと強いようです。
    そんな私も困るという前にやはり寂しさが強いです。2人が同じ思いでいると私は今まで献身的に支えてくれた妻に寂しい思いはさせたくないと思いの方が強く、妻が旅立つのをみて少し後に私が後を追いたいなという思いです。夫婦は支えあって常に一緒にいたいものてす。先の事はわかりませんが毎日毎日を大切にいつまでも一緒に歩いて行くという強い気持ちを持って病と闘いながら支えてもらったり時には支えてあげながら生きて行ければいいんではないでしょうか、答えなんか出ませんがまずは病に向かい合い楽しい人生を歩んで行きましょう。

    1. のすけパパ

      こんばんは。
      私も日頃支えてくれている妻に感謝の気持ちでいっぱいです。
      そんな気持ちなのに、ときおり妻に怒鳴ってしまうことがあって、その後は深く後悔します。
      おっしゃる通り、夫婦ですから支え合っていたいのですが、私が妻にしてやれることは何があるのかを考えてしまう日々です。
      あと何年生きるかは分かりませんが、残りの人生、妻につらいことや寂しい思いはさせたくないと思っています。
      今更ながら、妻が笑っているところがすごく好きなことに最近気づきました。
      妻を笑い顔を見ながら人生が歩めればと思います。

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