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小走り

ようやく夏も終わって過ごしやすくなってきた。
温痛覚障害の私は気温が分からない。
暑いのだか、寒いのだか、正常な感覚と異常な感覚の信号がまざって脳が混乱しているようだ。
気付かないうちに熱中症になることが怖いので、真夏の外出は避けていた。


「やろう、やろう」と思って夏が終わるのを待っていたことがある。
小走りの練習である。
季節が良くなったら練習しようと思っていた。
ホント、季節が良くなるのを待っていた。
いやいや、ホント、怠けていたわけではない。

「走る」ことは「歩く」ことと比べれば、体の動きが根本的に違う。
歩くことの動作を素早くしただけでは走ることにならない。
走ることは、両足が空中に浮いている瞬間があるし、足で地面を強く蹴らなければならない。
それに手と足が連携しないとバランスが取れない。
運動障害が出ている私には、走ることは歩くことの数倍難しい。
入院中にセラピストから「ちょっと走ってみましょうか」と言われて試したことがある。
もう「タコ踊り」状態であった。
手足を素早く動かすことが難しいが、それ以上に手と足が連携してくれない。
素早く動かそうとすればするほど、思った通りに動いてくれないのが運動障害の典型的な症状だと思う。

全力疾走ができなくとも、小走りができるか否かでは日常生活が変わる。
信号を渡っている途中で信号が点滅を始めたり、踏切を渡っている途中で警報音が鳴り始めたり、小走りができれば安全が確保できる。
信号や踏切を渡る場合の「気持ちの余裕」が違う。
(この「気持ちの余裕」はストレスや疲れにも影響する。)
バスや電車に乗る場合も、ちょっと小走りができれば間に合う場合がある。
こんな体になったから時間に余裕を持って行動するべきだけど、行きはよいが帰りは計画どおりにいかない。
向こうの方でバスが待っていて、小走りなら間に合うシチュエーションも多い。
次のバスまで20分ぐらい空くと、バス停で待つのもつらい。

近くの公園に妻と出かけた。
「今日は小走りの練習だ!」
妻に宣言して、自分にも気合を入れる。
転んでもいいように芝生の上で練習開始。
小走りを行ったのは前回から半年ぶりぐらいか。
退院直後、この公園で小走りをやった記憶がある。
走りはじめてみた。
「おっ、なにか違うぞ」
前回よりはずいぶんと良くなったのが自分で分かる。
あいかわらず手足は思ったように動いてくれないけど、手と足が連携している感じがする。
「前より良くなったよねぇ?」
「ずいぶんと良くなったよ」
妻もそう言ってくれた。

小走りはこれから練習を積めば、かなりできるようになる気がする。
「小走り」は「早歩き」とは違う。
走ることへの第一歩が「小走り」だ。
少しずつでもよいから、体が戻ってくれればうれしい。

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