落ち込んでいました

すっかりブログの更新を怠っていました。
ブログを更新する気持ちになれなかったのが正直なところです。
ここのところ気分が落ち込んでいました。
嚥下障害改善の手術を受けて、改善したことは改善しましたが…


手術することは自分なりに覚悟が必要でした。
脳や心臓の手術に比べれば、私が受けた手術なんて危険はないに等しいと思います。
でも初めての手術、初めての全身麻酔、そして体の一部を取り去ってしまうことがどうしても気がかりでした。
食道の筋肉なんて、普段は意識することはほとんどありません。
しかし普通の生活をする上ではとても重要な部分です。
一部でも「取り去る」ということは、もう元に戻すことはできなくなるということです。
いくら後悔しても、取り去った部分を再び付けるようなことはできません。
たしかに、脳梗塞で麻痺してしまって動かなくなった部分ではあります。
医師からは「リハビリを続けても、動く可能性はない」と言い切られた部分でもあります。
もう残る手は手術しかないと自分でも思いました。

そう思ったから覚悟を決めたのです。
手術の説明で「手術をしたからといって、100%元気な頃のように戻るわけではない」と言われました。
それは十分に理解している(いた)つもりです。
過剰な期待をしてはいけない。
自分で自分に何度も言い聞かせました。
でも覚悟をして手術を受ける以上、期待が高まったのも事実です。

手術した結果は…

手術前よりも食べられるものが広がりました。
固いものや、多少パサつくものでも食べられます。
柔らかく炊けば普通のご飯も食べられます(手術前はお粥でしか食べれませんでした)。
でも、手術後でも誤嚥して「むせて」苦しむことは時々起きます。
のどにつかえて食物を吐き出すこともあります。
水分はダメです。
体勢を整えて、ほんの少しずつなら飲めるようにはなりました。
ビールをゴクゴクなんてとっくにあきらめましたが、水分のある食べ物、例えばラーメンとかは今でもダメです。

嚥下の状態を自分なりに点数をつけるとするなら、手術前で30点ぐらい。
手術後は40点ぐらい。
改善はしたのは事実だけど、10点ぐらいしか改善していない。
そう思ってはいけないことわかるけど、たった10点と感じてしまう。「たった」。

そして最後の砦である手術を行って、他に手がもう残っていないことがきついです。
これから先、リハビリでまったく改善しないとは思っていませんが、変化したとしても微々なのは自分で分かります。
この状態で生活をしていくことに、腹をくくらなければならないことが苦しいです。
「受け入れるしかない」、それはわかっているけど、心底そう思うにはまだ時間が足りません。

4件のコメントがあります

  1. さかどくん さん

    私もなんとなく分ります。
    「障害受容」という言葉には抵抗はありますが…。
    半世紀近くの来し方は「思い出」になってしまったのを感じます。
    自分の断層画像を見ながら「これじゃ、しょうがない。」と自分を納得させています。。
    「もう、元には戻る訳ない」。。。

    1. のすけパパ

      受け入れて、変な言い方ですが「自分を許す」みたいな
      感じかなとぼんやりと思っています。

  2. あー さん

    同じ病の40代の女です。お気持ち、すごくわかります。
    私はいつまでたっても、発症前のことを後悔したり、前向きな気持ちになれずに悲観的でいます。
    こうした暗い気持ちでいて何もやる気がおこらないのは、時間の無駄だとわかっているのに、何もやる気がおこらずに、ポジティブ精神まっしぐらです。
    家族の者とは普通に話ができても、友人、知人とは自分からシャットアウトしています。
    でも、そんな悲しい気持ちも時間が解決してくれるのかなとも思います。
    少しでも時間が解決してくれるといいなと思います。
    ワレンベルグになって貴殿のブログをいつも拝見しておりました。
    穏やかなお気持ちで過ごせますように。
    応援しています。
    お互い、少しずつゆっくりと…

    1. のすけパパ

      時間は大事ですね。
      時間が解決することも、たくさんあると思います。
      40代なら時間はまだまだたくさんあります。
      きっと思い出話のように、友人とも話せる時期がくると思いますよ。
      応援ありがとうございます。がんばりましょうね。

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