川島なお美さんが亡くなられたことは、すでにご存じかと思います。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。
自分の病気のせいなのか、それとも年齢のせいなのか、どちらが強く影響しているかは分かりませんが、このような話がとても気になります。
ご本人の無念さを考えると、心が痛くなります。
前回で自分が病気になったことを「偶然」と考えるように、自分で自分を仕向けていることを書きました。
その考えで行くなら、「寿命」ということも「偶然」になります。
考える間もなく寿命が終わってしまったら、それは考える間もないのですから何も感じないかもしれません。
自分で「自分の寿命の終わり」に向かっていることを感じたとするのなら、しかも、それがジワジワと来たら…
私の好きなドラマ「白い巨塔」(唐沢寿明さんが演じた方)で、財前教授が肺がんで自分の死期を悟って、
「僕に不安はないよ。ただ、ただ、無念だ」
と里見先生に話す、名シーンがあります。
私も決して忘れることのないシーンです。
「無念」という言葉がとてもとても重く感じます。
「無念」という言葉を使っても良い時は、「こういう時だけ」とまで思ったりします。
人間、いつかは寿命を迎えます。
それは分かっています。
でも、
明日、死ぬことが分かったら何を感じるだろう?
来月、死ぬことが分かったら何を感じるだろう?
来年、死ぬことが分かったら何を感じるだろう?
自分に問いかけます。
きっと自分も無念さを感じると思います。
私はこの病気になって、病気で死を感じたことは当初はありませんでした。
病気で意識を失うようなこともありませんでした。
発症して、しばらくしてからインターネットで病気のことをいろいろと調べました。
そこで、決して、死と無縁な病気ではないことを知りました。
私がまだ生きていることは「偶然」なのかもしれません。
言い出せば、自分の存在自体が「偶然」なのだと思います。
でも、近い将来に「寿命の終わり」が訪れるとするなら、それは無念さを感じます。
病気になって、元気な頃より「死」を近くに感じるようになりました。
この体で生き続けることへの疑問を強く感じるときもあります。
でも、まだ自分には寿命を迎える準備などできていないことにも気付きました。
「もっともっと生きたい」
自分の素直な欲求です。
元気な頃の夢のひとつに「元気な老人になること」がありました。
この夢は破れてしまいましたが、他の夢がまだ残っていますし実現できる可能性があります。
スティーブ・ジョブズの名言を思い出します。
「もし今日が人生最後の日だったとしたら、今日しようとしていることを私はしたいだろうか?」
これは、人類有史以来の課題になっている「死生観」そのものですねぇ。
いろいろな宗教、哲学等がありますが答えは出ないと思います。
人間なんて愚かで空しいものだと思いますねぇ。。
こんばんは
反応が遅くてすみません。
どうやったって答えが出ないことは分かっているのですが…
だからこそ、もがきたくなる時もあるのかなと。
のすけパパさん
おはようございます。すでに出勤し会社からですw。
>病気になって、元気な頃より「死」を近くに感じるようになりました。
たぶん人それぞれ、生まれてきた環境や学んできた事など違いますから、捉え方もいろいろありますが・・・
私は、こう感じます、発症後4年目になる立場として。
病気になって、元気な頃より「命や生命」を大事に感じるようになりました。
だから「死」は身近というより、この大病を乗り越え、身体がリセットされた感じです。
まぁ、発症前から比べたら後遺症はありますが、免疫というか「病」に関しては一つ強くなったと・・・・。
反応が遅くてすみません。
おしゃっるとおり「命」を大切に感じます。
残り何年かは分かりませんが、大事に生きようと思います。
この病気になったことは、いろいろな面で大きな経験です。
こんばんは。川島なお美さん、死の直前まで、全力で生きてみえましたね。
無念だと思います。
話は変わり、私は視床痛に困り果てていますが、家族はもとより、他者からいたわってもらえるわけでもなく、1日1日を何の目標もないまま、ただただ生きているように思います。
病気になって気持ちの整理ができないままでいたのが、なぜかここ最近、ふと諦めの境地の心境になってきたように思います。
後遺症は色々あって、痛みが1番の苦痛で、このまま一生、この苦痛と隣り合わせだなんて考えたら、絶望的でうつになりそうなこともありました。
なんでだろ❔
そろそろ、いつ死んでもおかしくない年になってきたと思うようになったからかな。
でも、家族には、いたわって欲しいのが本音。
私の気持ちも体調も何とも思っていないのがよくわかるので。。。
のすけパパさんが、うらやましいですよ。
それにしても、痛みも嚥下もつらいわ(泣)
こんにちは。
反応が遅くてすみません。
痛みや嚥下は同じ気持です。
つらいけど、一生、付き合うのでしょうね。
私達の時代は無理にしても、きっといつかは医学が進歩して治せる未来が来ることを願っています。
だからって、どれだけお金が有ったとしても冷凍保存は望みませんが(笑)。
私は病気になる前、ヘビースモーカーでした。何度もやめたいと思っていましたが、ストレスを言い訳になかなかやめることはできませんでした。
病気になって、約1年、喫煙していません。
今は、病気になる前よりストレスが大きいというのに喫煙していません。
たまに思い出して吸いたいと思うこともありますが、自分の性格上、1本吸ってしまったら最後と思っています。
私の父方の親戚は癌家系❔のようで、せめて禁煙しなければと思っていました。
けど、なかなかやめれなくて。。。
病気にならなかったら、禁煙することはなかったでしょう。
私の父は80歳までタバコを吸っていましたが、90歳近くなる今でも健在です。
タバコの本人への害は統計論で言えば関係するのでしょうが、やめるストレスも無視できないと言いますからね。
私もこの病気になってすっかりやめましたが、病気になっていなかったらやめていたかは疑問です。