ワレンベルグ症候群で嚥下障害が出たら⑧

「ワレンベルグ症候群で嚥下障害が出たら」の8回目です。
最終回にします。
今回は「気持ちの持ち方」について、書こうとおもいます。
直接は嚥下障害と関係ないですが、おつきあいください。


週末までにはブログを更新しようと、月曜日から考えていました。
あっという間に週末になり、今日は日曜日です。
ブログを更新する、気持ちの「焦り」はあるのですが、今日は朝から体調が悪いのです。
全身の倦怠感、強い視床痛、そして左目の「かすみ」。

天気予報を確認すると、明日は雨のようです。
外は暖かくて太陽も出ているというのに。
病気になってから、体は天気予報マシンになりました。
天気が悪くなる前日は、体調が悪くなります。
天気の悪い当日よりも、前日の方が体調が悪くなります。
天気の変化を体が敏感に察知するかのようです。

こんな日は無理をしないことにしています。
普段は家では、ほとんどパソコンの前で過ごします。
ただ、今日のような体調が悪い日は目がかすむため、モニターを見ることができません。
昼食後から音楽を聞くことにしました。

実はクラシック音楽の大ファンです。
「趣味は?」と聞かれれば、「クラシック音楽(聴く専門)」と言っていたぐらいです。
映画「アマデウス」の影響からモーツァルトが好きになって、その後はショパンやチャイコフスキーが好きです。
一番のお気に入りを選ぶとするなら、
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
です。
病気を発症する前は、コンサートにも良く行っていました。
今は……
唾液を吐き出すのを長時間我慢することはできないので、コンサートはあきらめました。
でも、音楽を聴く趣味は家でもできるので続けています。
どうでもいいですが、最近はマーラーがお気に入りです。

話が脱線気味なので、そろそろ本題に入ろうと思います。

気持ちの持ち方の「その一」ですが、「あきらめるのも必要」です。
病気になって、できなくなったことがあります。
そのことで、私もとても落ち込んでいた時期がありました。
元にもどりたい気持ちで、一生懸命にリハビリも励みました。
でも、元にはもどらないこともあるのです。
受け入れたくないことですが「受け入れなければならないこと」と、自分に言い聞かせています。
できなくなったことを考えるより、できることを考えるようにしています。
時間をかけて自分を「許す」ような感じです。

「その二」は、「調子にムラがあること受け入れる」です。
元気な頃に比べれば、体調にムラがあります。
体調が良いときもあれば、今日のように体調が悪いときもあるのです。
これも受け入れなければならないことです。
体調の悪いときは、無理をせずに静かに体調が戻るのを待ちます。
(クラシックを聞いたら体調が戻ったので、こうやってブログを書いています。)

「その三」は、「生きてて良かったね」と思うことです。
最近は「なぜ私は死ななかったのだろうか?」と考えます。
死亡率が極端に高い病気ではないものの、死ぬこともある病気です。
だから、「こうして生きているのは理由がある」と考えるようになりました。
「生きている」のではなく「生かされている」のだと。
正直に言うと「大変な病気を経験したのだから、これからは少し楽ができるのでは」と期待したこともありました。
そんなことはありません。
元気な頃と同じように、いろいろなことが自分や自分の周りに起きます。
でも死ななかったのは事実なのです。
「生かされている」と考えつつ、いつかは迎える死の瞬間に「振り返って人生を後悔しないように」と行動しています。

家族旅行とかの写真を見ると、今でも涙が出て止まらない時があります。
子供と海で遊んでいる写真を見て「もうこんなことはできない体なのか……」と思います。
でも、今でも家族で大笑いすることはあります。
生きているから、笑えるのです。
「笑えること」、そして「生きていること」、そしてそして「今の私を支えてくれている人たち」に感謝して日々過ごすことにしています。

4件のコメントがあります

  1. 藤﨑 景理 ふじさき かげみち さん

    kageyanと申すものです。私はこの5月23日ワレンベルぐ発症し「船橋市立リハビリテーション病院」でリハビリに勤しんでいます。
    ブログを拝見し、治らない症状や障害が多いことを知りました。想定はついてはいたが覚悟を持つことも重要だし、今リハビリ時期にどこまで緩解の対応学習ができるかが優先させることと理解しています。
    貴氏の体験に基づく貴重な記述は研究論文よりも参考にできる素晴らしいことですね。感謝しエールをお贈りしたい。特に心の持ち方は実に共感しております。今後とも論述継続頂きたくお願いします。当方年齢73歳男、男声合唱やオペラ歌唱をほぼ断念しました。

    1. のすけパパ

      こんにちは。

      ブログにお越しいただきありがとうございます。
      また大変に嬉しいお言葉をいただきありがとうございます。
      もう病気にはなってしまったので、病気になったことは諦めて、「病気とどう付き合うのか」をいつも考えています。
      私は嚥下障害から喋ることが億劫になって、そうなるとあっという間に舌がもつれるようになることを感じています。
      大声出すこと、特に歌うことは色々な面で体に良いらしいので、少しでもお続けになられるのが良いかと思います。

  2. 藤﨑景理 さん

    kageyanです、再び書き込みます。
    最終回とのこと、もう書けない事由などあおりと推察致します。私よりも30歳ほど若く、ご子息さんもおられ、何かと悲観し、気を持ち直したりでの変動ある生活は手に取るように当方には理解できます。どうか貴氏が述懐されてますように、受け入れること、身の丈に合う生き方、を担保されますよう。大切なことは自分の目標を出来る範囲のことで新たにチャレンジすることが重要な励みにあると、私も含めお勧めします。私は出来ないことはコーラスたオペラの活動です。生甲斐にしてました。しかし歌えなくても楽しみ方は別な方法でもあるようです。歌う側でなく指揮など役割への再挑戦です。そしてこれらの活動で仲間や友人との付き合いに限界も辛い。でも理解して頂ける友人が居ました。私の言語リハビリに共に付き合ってくれています。私も家内など介護の世話になるなか、以前のように外出は出来ず家に閉じこもり気味です。でも少しづつ以前の仲間や、新たな友人を軸に増やそうと考え努力中です。
    当方は前職が医療業種ですので病気や治療など比較的知識持っています。以前から患者さんには主訴なる病気本体よりも、心の保安が極めて大事と思い、どう家族と、どう自分の生きがいを生活するかを称えてきました。ところがそれが自分に遭遇してしまった。そして心の保全するために、周囲や人との会話などコミュニケーションを重視し手法を工面している最中です。閉じこもりが一番いけない、同じ悩みを自問自答し続けるのが良くない。ヒントは笑顔を絶やさない事に思います。辛い泣き顔ばかりでは周囲は気遣い寄ってくれない。そして自分の無理な笑顔でも、相手が笑顔で返してくれる筈ですし、返してくれた笑顔が、今度は自分の笑顔も真顔になりますよね。長くなりました共に気楽に頑張りましょう。では  藤﨑景理

    1. のすけパパ

      この体になって出来なくなったことを悔やむより、出来ることを探して楽しむ方が良いと私も思います。
      「同じ悩みを自問自答し続けるのが良くない」ことは頭では分かっていても、なかなかそうできない自分がいます。
      ただ、おそらくは一般よりも私は楽観主義的だと思いますので、悲観してばかりの日々ではありません。
      私を支えてくれる家族や仲間に対して、笑顔でいられるように心がけています。
      日々心がければ、不思議と笑顔がこぼれることも感じています。
      ホント「気楽に頑張りましょう」ですね。

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