休日夕方の電車、子供が席に座っていて、親とおぼしき大人がその前に立っている情景を目にすることがあります。
電車は少し混んでいるので、親が子供に席を譲っているのでしょう。
この情景を見て、私はいつも悩んでしまいます。
私が独身の頃、結婚していて子供もいる先輩と飲みながらこんな話をしました。
【私】
「休日夕方の電車、子供が座って親が立っているのは変だと思う」
【先輩】
「理由が分かるかい?」
「休日ってことは、どっかに遊びに出掛けた帰りだろ?」
「子供が、遊びに出掛けても帰りの電車では立たなければならないことを覚えたら、どう考えるだろう?」
「遊びに出掛けても帰りの電車では立たなければないないから、目一杯遊んで疲れてしまわないように、遊びはほどほどにしよう」
「そう子供が考えたら、それは本末転倒だと思わないかい?」
私はまだ結婚もしていない頃だったので、
「さすが、実際に子供がいる先輩は考えが深いな~」とその時は思いました。
でもこの話、どうも自分では納得しきれずに今に至ります。
出掛ける目的が子供を遊ばせるためなら、その子供が遊ぶことを抑制して体力を温存するのは、それは本末転倒と言えます。
もし子供が遊びに行った帰りに電車で立った経験があって、その経験から遊ぶことを自ら抑制するようなら、それはそれでとても成熟した子供だと思います。
しかし、そんな成熟した子供が「自分は疲れているのだから、親より優先して自分が座っても良い」と思うようになってしまうことは良い事なのでしょうか?
一見、親の子供への愛情のように思えますが、私は「しつけがなってない」と思ってしまうのです。
(もちろん、座らなければならない特別な事情があるのなら話は別です)
少し考えが飛躍しているのかもしれません。
実際には「親より優先して自分が座っても良い」など、子供はそこまで考えていないとは思います。
親が「座ってもいいよ」と言っているので座っているのだと思います。
ただ、そこからもう少し成長したとき、高齢者や体の不自由な方に席を譲る親切さや配慮は、そんな頃の経験から育まれていくように思えるのです。
「自分だって疲れているのだから、座った席は私のもの」
そう考えるようになるのではないのかと。
私は障害者となったため、電車の中では席を譲ってもらう側の立場です。
今がそのような立場だから、こんな意見を持っているわけではありません。
高齢者が目の前に立っているのもかかわらず、スマホに夢中になって(あるいは夢中で気づいていないフリをして)席を譲らない若者は以前から見かけます。
優先席でさえも同じ情景を見かけます。
親の「しつけ」が、このような行動につながっていると感じてしまいます。
では、子供を育ててきた私はどうしてきたのか?
席がひとつ空いていたなら、
子供が幼稚園ぐらいまでは「席は妻が座り、子供は妻の膝の上」。
小学校以上なら「席は妻が座り、子供は私と手をつないで立つ」。
です。
ちなみに息子(現在、高校生)に「電車の中でちゃんと席を譲っているか?」と訪ねたら、
「よほど疲れていないと席に座らないし、ましてや優先席には絶対に座らない」と返ってきました。
「なぜ?」と訪ねたら、
ぶっきらぼうに「座ってから譲るのが面倒」と言われてしまいました。
まぁ、席を必要としている人に譲らないといけないことは分かっているようですし、無視して席を譲らないよりはマシとは思いますが……
?
電車で帰るには程度の差こそあれ、体力を温存しておく必要があると思うので、全力で遊ぶのは無理でしょう。せめて、泊まるとか。帰りは渋滞無しの車とか。
まあ、先輩氏の後から無理にくっつけた理由ですかね。
ところで、自分がしんどい時、疲れているときこそ、他人に対するおもいやりが必要な時だと思うので席が要る人がいれば、しつけの好機だと思います。
> ところで、自分がしんどい時、疲れているときこそ、他人に対するおもいやりが
> 必要な時だと思うので席が要る人がいれば、しつけの好機だと思います。
私もそう思います。ブログはそのつもりで書いたのですが……
遊びに行くのに、常に泊まりや車で行くのは理想論ですね。
そのために遊びに連れて行く頻度が下がっては意味がないですし。
逆に車で出掛ければ、間違いなく渋滞にハマって夕食もままならない状態になります。
地域性の問題は多分にあるのかもしれないですが。
先輩は子供の育て方に対して強い哲学を持った人なので、私に言ったことは後付ではないと思います。